2007410

 

2007328日に開示決定された日韓会談第4次会談本会議議事録の内容について

 

日韓会談文書・全面公開を求める会 共同代表

吉澤文寿

 

1.今回開示された日韓会談関連外交文書(以下、日韓会談文書)は、プレス・リリースされたものを除くと、その内容が公開された初めての事例です。

 

2.第4次会談本会議は19571231日の日韓共同宣言を受けて、1958年(昭和33年)415日に第1回会合が開かれ、514日まで9回開催されました。この間、日韓間で釜山収容所にいる日本人漁夫と大村収容所にいる在日朝鮮人の相互釈放が進められました。しかし、75日に藤山愛一郎外相と愛知揆一法相との会談で、大村収容所にいる朝鮮民主主義人民共和国への送還希望者のうち、婦女子、病弱者及び収容3年以上の者を仮釈放するという方針が決まると、韓国政府はこれに抗議して、日韓会談を中断します。

 その後、日本国内で在日朝鮮人帰国運動が盛り上がるなか、101日に一度だけ日韓会談が開かれます(日本側にはこの会談の記録がない。あるいは、開示されていないのか)。1959年になり、213日に日本政府が帰国運動を承認するという閣議決定を行ない、813日にはコルカタ(カルカッタ)において、日朝の赤十字社が帰還協定を締結しました。

 この動きを受けて、韓国政府は在日朝鮮人問題を日韓間で話し合うために、日韓会談の無条件再開を提案しました。その結果、812日に日韓会談が再開され、98日まで4度にわたり行なわれました。その後、1960415日にもう一度日韓会談本会議が開かれます(日本側にはこの会談の記録がない。あるいは、開示されていないのか)。

 

3.本会議の内容は使用言語、議事録の記録方法、各委員会の進め方などです。この会議では、日韓間の諸懸案に関わる実質的な議論はほとんどなされませんでした。

 ただし、コルカタ協定締結を目前に控えた1959812日以降の本会議で、在日朝鮮人帰国問題をめぐる日韓間の激しい意見交換がありました。

 1959812日の会合で、日本側の沢田廉三首席代表が儀礼的な挨拶を述べた後、韓国側の許政首席代表が「韓国にとりまして最近における両国関係の展開は極めて遺憾なものであります」と切り出して、次のように述べました(引用文中の括弧による補足は吉澤による。以下同様)。1)日韓会談における韓国政府の任務は「長期にわたる日本の韓国占領により発生した諸問題を処理すること」であった、2)「最も緊急を要する事柄」(=帰国問題のこと)は、「政治的であると同時に人道的であるという二つの面を持っており、それ故に、あらゆるものに優先し、かつ公正な解決を見出そうという誠意を持って対処しなければならない」、3)「韓国は、日本の最近の諸決定や諸政策が、共産主義と戦うこと三年にわたり、今もなお侵略的な共産軍と生死を賭して戦っている大韓民国にとり不利に共産側から利用されましたことを遺憾に思っております。そしてこのことは、韓国側の考えでは日本を含む全北東アジア地域の安全に有害であったのであります。」「我々は日本政府がこれらの行動を、現実的に、かつ韓国と自由世界のみならず日本自身の利益のために、再検討されるものと強く確信しつつこの会談に臨んだのでありまして、これこそ両国間のよりよき関係が確立されうる基盤となるものであります」(以上、別添3号「(仮訳)日韓会談再開に際しての韓国首席代表の挨拶」より)。

 同年818日の会合で許政代表はさらに、次のように発言しました。「今年(1959年)初め日本側が突然一方的に在日韓人の北送を決定したことは国際道議(ママ)にもとるは言うまでもなく上記の約定(1957年の日韓共同宣言のこと)にも違反したものであり大韓民国に対する非友好的措置であり会談は完全な停頓状態におち入り、両国間の極度の政治的緊張を招来するに至り我々は日本側に対し会談再開前に北送計画の白紙還元を要求したものである」(別添2号より)。

 これに対し沢田代表は次のように発言しました。1)今回の日韓会談再開は無条件再開であるから、帰国問題についての日本側規定方針に影響はない、2)帰国問題は「母国内における居住地選択の自由の原則に基づくもの」であり、在日朝鮮人の「帰還先」が政府間交渉の議題になることはない、3)そのため、今までの日韓会談でも「帰還先」について議論されなかった、4)「在留外国人がその自由意志により母国へ帰り又母国における居住地を選択し得るのは、その個人に属する基本的人権及び基本的自由であって、在留国政府はもちろん、本国のいかなる政府や政権と雖も政治的理由によってこれを妨げることはできない」(「81810.20AM 第2回全面会談(における?)沢田代表挨拶要旨(U)」より)。

 結局、826日の本会議で、18日に韓国側から提案された1)「日本に引き続き居住することを希望する人の問題」、2)「韓国に帰還することを希望する人の問題」、3)「その他の人の問題」(原案は「日本に永住定着するのも望まず又大韓民国に帰ることも望まない人があるとすればそのような人の問題」)について「在日韓人」法的地位委員会で討議することを、日本側が受け入れました。

 このように、日韓会談では在日朝鮮人帰国運動の即時中止を要求する韓国政府に対し、日本政府は「居住地選択の自由」原則を掲げて、その要求を拒絶しました。

 今日、日本人拉致問題をめぐって、日本政府が韓国政府に共同歩調を呼びかけていますが、韓国政府は南北交流の進展に鑑みて、これに慎重な対応をしています。約50年前と政治状況が異なるので、単純な比較は禁物ですが、当時と現在では対称的な構図といえなくもありません。ちなみに、当時の日韓会談を推進したのも、在日朝鮮人帰国運動を承認するという閣議決定を行なったのも、安倍晋三首相の祖父である岸信介首相でした。

 

4.なお、今回開示された文書を記事にする際は、ご面倒で恐縮ですが、外務省の情報公開室より所定の手続を踏んで、当該文書を入手してください。なお、この文章を引用する際は、「日韓会談文書・全面公開を求める会 共同代表 吉澤文寿」によるものであることを、記事に明記してください。

 

5.今回開示された文書は、我が会が開示請求をしている「日韓国交正常化交渉(日韓会談)各時期の本会議及び委員会の会議録・関連資料、日本政府が作成した公文書」のほんの一部です。昨年425日に我が会が外務省に対して開示請求を行ないましたが、開示通知を受けたのはこの文書だけです。日韓基本条約締結から42年が経とうとしており、2005年に韓国政府が「全面公開」したにもかかわらず、このような対応を続ける外務省の姿勢には大いに不満です。今後も我が会は、情報公開法の精神に照らして正当な主張である、日韓会談文書の全面公開を目指して尽力いたしますので、よろしくお願いします。

 

以上